2010年12月23日

お久しぶりです

うっかり1年間も更新をストップしてしまいました。まだお出でいただいている方はいらっしゃるのでしょうか。どうも有難うございます。

多忙を窮めて、という簡便な言葉で表現することも可能ですが、3足の草鞋に足を締め付けられておりました。科目数が多いので予習予習に明け暮れ、まあ、ある意味、熱心な教師というものを演じざるを得ない状況に不本意ながらも追い込まれていたというところでしょうか。

今月、3年間教え続けた子達との最後の授業を終え、笑顔で挨拶しようと思って喋りだしたところ、声が震えてしまいました。こんなことは今までになく、今までは爆笑をとって終えていたというのに、思いの他、気持ちを入れてしまっていた学年だということに改めて気付くとともに、この子達との短いありふれた日常を楽しもうという気持ちを新たにしました。

夫の大学の方は、波乱万丈必須の気配が出ています。夫のゼミの後輩が新しく来ることになったのですが、塾を含めて教壇経験の全くない素人さんです。留学先で学位を取得してきたということが売りで、その指導教授がじきじきに、今の夫の上司に掛け合ってきました。この夫の上司とはかつての同僚でもあるので、あり得ない話ではありませんが。しかも、夫の後輩でもあるし…ということで、あたかも夫が身分保障をしたかのような口調になっているようで、ルール違反ではないかと思う事態になっています。

そもそも、この指導教授が自分の所属している大学、即ち、夫の後輩の出身校に推挙すればいいものを、何故そうしないのかということ。専任ではなくて非常勤のコマ1つでも2つでも与えればいいのに、それをしていないということに、果てしない欺瞞を感じとってしまいます。人間は変わるものという、プラスにもマイナスにも解釈可能な言葉をプラスに解すれば、この彼も、今では立派な人格者になっている可能性もあるということになりますが、彼と関わった人達ほぼ全員が、彼から迷惑を蒙っているという事実を覆すほどの劇的な変化を遂げているということがあり得るのかどうか。この彼は私の後輩でもあるので、心配はしているのですが、やはり適性ということを考えてしまいます。

同業者の方なら周知のことですが、集団に教えて授業として成立させるということには、かなりのバランス感覚が要求されますよね。全体として成立させなければならない一方で、個に対する目配りも不可欠で、全体の理解度、集中度、興味の喚起…と、瞬間瞬間の判断力の総合体が授業だと思っています。彼は、今でいうKY、空気を読めないヤツというレッテルを貼られていて、例えば何かの会合の終了時間が来て、全員が帰る準備をして立ち上がっているというのに、ずっと自分の話をし続けることがよくありました。一番、迷惑を蒙ったのは留学先にいきなり訪ねて来られた先輩の話で、先輩が「せっかく来たのだからゆっくりして行って」と言ったところ、お金も払わずに1ヶ月滞在し、頼み込んで帰ってもらったということがありました。この人が、果たして変わっているかどうか。

夫の上司は、この彼に何度か会っていて、当初は学位の煌きに目がくらんだのか、ベタ褒めだったのですが、最近ではまだ教壇に立ってもいないのに、懐疑的になり不安感を吐露するようになっています。そして夫に、「いろいろ教えて面倒を見てやってほしい」と言っているそうですが、そもそも、この人の採用には慎重になるようにと僭越ながらも言っていた夫ですから、それは丁重に、自分にはそんな大それたことはできないとご遠慮申し上げました。

学問を続けるということ、特に文系の場合はゴールは大学教員ということになりがちです。それまで、一人でこつこつとやることが性分に合っていた人も、その瞬間、否応がなしに、集団授業を要求されます。このギャップというのは人によっては多大なストレスになり、精神を病む人も多いようですが、今、この後輩の彼に対する心配というのは、このことです。この件に関しては、他にもいろいろあるのですが、今日はここでやめておきます。

ではでは、皆様。
今年も何も更新していない場所に足をお運びいただきまして有難うございました。
どうぞ良いお年をお迎えください。


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2009年11月17日

モンスター一家

先日、教え子の家族と食事をした。教え子、その夫、娘2人、母親+私である。家が近いこともあり、教え子の母親とも娘2人とも知り合いなので、居心地悪いということもなく、アットホームな食事会だった。
場所は回転しない寿司屋さんだけれど、それほど値段の高い店ではない。客層は年配の人が多く、私達だけ家族連れであった。

地主さんの家なので、大トロ人数分に始まり、とにかく豪勢に派手に注文した。お座敷席だったので、注文品がまとまって大皿に乗って出て来るのだが、アラ汁もあって結構な量だ。テーブルいっぱいに寿司が並び、なかなか圧巻だった。ちなみにお勘定は教え子のお母さん。

特別おいしい寿司というわけではないものの、残すほどまずいものでもないと私は思ったのだけれど、この一家は食べ散らかすという感じで残す。手巻き寿司のカンピョウ巻も、一口かじって不味いとかじりかけのままで皿に戻す。アラ汁はお手拭の端がちょっと入ってしまっただけでもう飲まない。小4の娘は付け合せのレモンで遊びだし、それをビールやお茶に絞り入れてみたり、姉のスカートの上で絞ったり…。最後にはテーブルの横で踊りだした。食べ残した寿司の上にお手拭を載せてみたり、もう、いろいろな意味で私の知らない光景が繰り広げられていた。

娘達が暴れているというのに、父は注意することもなくふざけて遊ぶし、母は洗うことを考えて、こぼすことだけ注意している。誰もその行動そのものは注意しない。娘の祖母はどうかというと、「聞かないんだからねえ」で終わり。私が何か言いたいところだったが、父親も一緒になってふざけて大声で笑っているので、遠慮してしまった。

こういう状態の時、やっぱり私は教育者の端くれなんだなあと思うが、ちゃんと教えてわからせなくちゃという回路が働く。知らない子なら注意できるのだけれど、両親も祖母もいるのに、私が言うのは失礼だろうなあと思って注意できず、そのことがストレスになってしまう。店の人にも悪かったと思うし、食べ物で遊ぶということに対する抵抗も強くて、もう一緒にはいたくないという気持ちでいっぱいだった。

呆れ果てたけれど、友達親子っていうのはこういうものなのかも知れない。叱らないから子供と敵対関係にはならない。一家そろって常識のなり恥ずかしい存在なのだけれど、仲良しなのだ。モンスターだ。お店の人の視線が痛かった。
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2009年11月13日

進路が決まったら授業なんて

高3の授業も、残りあと1ヶ月というところまで来た。2年間連続で持っていたので思い入れも一入で、正直、甘っちょろいことを言わせてもらうと、別れるのが淋しいと思えるほどクラスの雰囲気も良くて、積極的に授業に参加してくれる動かしやすい授業のやりやすいクラスだった。そうなのだ、過去形なのだ。残念なことに。

すでにクラスの半数が推薦で進学先が決まっているので、その人達の授業に対するモチベーションは皆無になっている。具体的には、喋る、寝る、内職する…が当たり前の状態で、注意すれば直るが、注意しなければ続ける。クラスリーディングも前は全員が声を出していたのが、今は前列の人達を中心に10人程度ではないかという酷さ。

担任も何を考えているのかと思うが、最後だからだかなんだか仲良し同士がくっついて座っているので、ますます遊びたい雰囲気が強くなってしまっている。それを担任に伝えてなんとかしてほしいと言うことは私のプロ意識に反するので、それでも動かしてはいるけれど、明らかに以前とは異なることにがっかりしている。

結局のところ、内申点のためだけに、いい子になっていたんだなあ。わかってはいたものの、軽くショックだ。印象がどんどん悪くなっていっているので、最後の授業でもあっさりと終われるだろうということは有難い。最後の最後までいい子達で、贈り物までもらって泣きべそかいたクラスが過去に1クラスだけある。これは多いのか少ないのかわからないけれど、今年はどのクラスも笑顔で最後の授業ができそうだ。
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2009年11月10日

通勤費未払い

そういえば、夫の大学から通勤手当が出ていない。今年度は一度も。今年度が始まるとき、何人かの人員整理があったのだが、その基準は大学からの距離だとかいう話だった。確かに、同じ学部所属に人達の中で、通勤に2時間かかる人が辞めることになった。究極的には同じ自治体に住んでいる人、もっと言えば徒歩で来れる人だけにして行きたいとかいう話だったが、能力よりも経験よりも距離…?そして、それが着々と実行されつつあるっていうところが驚きだ。

夫はこの大学で3日間授業があるのだが、それが前に書いたアパート暮らしになる。このアパートからだと大学まで徒歩5分で交通費なんか全くかからないのだ。でも、3日分の交通費はかからないが、1日目の行きの分と3日目の帰りの分はかかる。新年度の交通費登録があった際には、そう書いて出したのだけれど、あれれ…?なことになっている。もしかしたら、年度末にまとめてばーんと来るのかもしれないけれど、立替になっているわけだから、普通はすぐに払われるべきものだと思うのだが、どうなんだろう。もしかしたら、年度末に払われるかもしれないと思わせておいて口封じをし、実は払わないということになるのではないかな。その場合、慌てて請求しても会計年度が変わってしまったので無理ですなんてことになりかねない。

さらにそういえば。同じ大学の別校舎でも授業があるため、そっちに行くのに往復1000円弱かかっているのだが、これも支払われていない。校舎間を繋ぐマイクロバス(日によってワゴン車)があることになっているのだが、夫の授業がある時間には走っていないため、公共の交通機関を使っている。この分の交通費が出ていないということは、夏休み前にも言ったのだが改善されていない。こうしたことの窓口になる人が、本人の個人的事情により、授業すらろくにできない状態になってしまっているため、ましてやこういう事務的なことなどできないのだ。ということは、もしかしたらこのままの状態で行ってしまうかもしれないということで、それはいくらなんでも酷いと思う。

ということは、もしかしてものすごくこちらの持ち出しがあるのではないかと。計算していないけれど、給料と同じくらいの出費があるような気がしてくる。家賃だってあるし、交通費は特急に乗って行くような距離なので、かなりかかるのだ。

経費節減は仕方ないことだと思うが、これはないよね。
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2009年11月08日

多忙のわけ

早いもので、2学期もあと1ヶ月ちょっと。4月の新鮮な緊張感はとうに失せ、慣れたというか、馴れ合ったというか…な状態のクラスの雰囲気に、反省することしきりだ。私の教える科目に苦手意識を持っている子達が多いので、そういう子達が気軽に質問できるようにと、できるだけ垣根を取っ払おうと思ってフレンドリーな感じを作ることにしているのだけれど、その加減を間違うとこうなる。確かに質問しやすい雰囲気にはなっていて、同教科で他の先生が担当の科目まで聞きに来るし、予備校の宿題まで聞きに来る。それはいいんだけれど、いつの間にか、始まりの号令の時にも自分の席にいない子はいるし、こちらで大声で席につかせないと駄目だったりする。厳しい先生の時なんて、席に座って静かに待っているのだから、できないわけではなく、私にはそうする必要がないと思っていることは明らかなのだ。
と、こう言っていても、普段は全く気になっていない。別に私が注意すれば静かになるしやることやってるからいいや…って思ってしまっているのだけれど、たぶん、こういうこと言ってる教員がいるから生徒がだれるとか思われてるのだろうな。でも、これが私のやり方なので仕方ない。

ところで、今年度は連日、持ち帰り仕事で授業準備やテスト作りをしていて、ホントに時間の使い方が下手だなあ…と思っていたのだけれど、今頃になって気がついた。私は今年度持っている4科目、全て1クラスずつの担当なのだ。つまり、1つの教材に対して1度の授業しかしないので、毎回の授業が新しい内容なのだ。普通なら、学年を通してその科目を受け持つので、同じ4科目であったとしても、1回の授業準備で3クラス分や4クラス分の授業ができる。ところが今年度は持ち時間全ての時間のために授業準備が必要なので、毎日毎日かかりきりになっているということなのだ。1クラスの授業準備に対して1時間は準備に時間がかかる。ということはつまり、私は毎日4時間とか5時間、それに費やしているということで、そりゃあ忙しいわけだと、今頃になって気がついた。

遅すぎるけれど、気づくのが今でよかった。終わりが見えて来ているので、カウントダウンしながら頑張れる。

ところで、いろいろと書きたいことがあるのだが、こんなことって他ではあまりないだろうな…という種類のことばかりなのだ。大学っていうのは、本当にいろいろな人がいるから、いろいろなことが起こるものだ。でも、万が一、知っている人だったら私を特定されちゃうだろうなということが多くて、どうも筆が鈍っている。なんて、自意識過剰なのだけれど、過去に書いてた日記が特定された過去を持つもので、ちょっと怖くなっている。でも、そのうちオブラートに包んで書いちゃいますが。
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2009年05月27日

マスク高騰

新型インフルエンザの感染者が身近に発生してからというもの、マスクの品薄が続き、同時にオークションでの高値取引が続いているらしい。準備をしておきましょうというのは、冬にはすでに言われていたことだけれど、普段、マスクを着用しない人には不要なものに思えてしまうのは当然のことだろう。私と夫は咽喉を痛めると仕事にならないので、外出時はマスク着用が常識なので大量に在庫しているが、これは少数派だと思う。
今回のマスクをオークションに出すということは、必要だけれど持っていない人に行き渡るようにするという意味においては正しいことだと思う。欲しい人が多くいて、結果、価格が高騰することもオークションの性質上、仕方ないことだと思う。私が498円で買った60枚入りサージカルマスクは、先日、たまたま見たところ7500円で取引されていて驚いたのだけれど、それでも手に入れなくてはならないと考えている人が多いということか。(蛇足ながら、何故オークションページを見たかというと、某ポータルサイトのトップページに「サージカルマスク」というリンクが貼ってあり、自分の持っているサージカルマスクでも大丈夫なのかと気になったので、そのリンクを押してみたところオークションページに繋がったといういきさつ。)
私の持っているマスクは顔の小さ目の夫はレギュラーサイズでは大きすぎる(私にも)ので、レディースジュニアサイズというものだ。このサイズは数的には恐らく少ないので高値がついたのかと思うのだけれど、それにしてもその数字には驚いた。その時に見たある出品者は即決価格というのを設定していて、それは実に12000円。これは商魂たくましいというのか悪どいというのか、果たして買い手がついたのかどうかは知らないけれど、それにしてもあまりにも常識外れの値段には驚かされる。
それにしても、本当に備えあれば憂いなしということだ。今回は、たまたま新型インフルエンザが広がらなかったからよかったものの、マスクの平常時に近い供給体制が整うまでは自力でなんとかしなくてはいけないのだということを思った。あらためて。食料の確保もしておいた方がいいのだろうなと思うできごとだった。
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2009年05月20日

「私」がいれば

新年度が始まってからというものペースがつかめない。昨年度は夫が月曜日に出かけると金曜日まで帰って来なかったので、私は自分の仕事で忙しい時には周囲の最低限のことだけして休んでいたのだけれど、今年は違う。夫の出張は3泊のみになったので、私が7時間目まで授業をして疲れきった日でも帰って来る。となれば、当然のごとく、夕飯の準備をする。それが忙しいのなんのって。汁物に煮物とか焼き物、それにお浸しとか酢の物とかサラダとか、さらに食後の果物。疲れて帰ってきて座る暇もなく取り掛からないと間に合わない。もっと手を抜いてもいいのだけれど、私も夫も身体には気を遣う年齢なので、添加物の多いインスタント食品には手を出さないようにしているから大変なんだよね。それに、肉もあまり食べないので、焼けば終わりって感じのものじゃないのも。

そんな毎日で、ふと思ったのは母のこと。母が私の年齢の頃には、すでに高校生の私がいる。自分で言うのもなんだけど、その頃の私はすでに食事の後片付けとかお風呂の掃除とか、細々としたことはかなりやっていた。専業主婦だった母はそれでも、食事を作ったから疲れたなんて言ってたこともあったけれど、何を言ってるの。楽だったでしょう。私なんて、後片付けしてくれる「私」がいないから、全部、何もかも自分でやらなくちゃならないのに。なんて、言っても無駄なことを言いたくなる近頃。

この仕事、もう20年以上もずっと続けているけれど、やっぱり体力は必要な仕事だから。若い頃ならなんてことなくできていたことが大変になってくる。明日までに明日までに…ってことに対応するにも、何かを犠牲にしなければ時間が作れないとなると、削るのは睡眠。以前は削っても大丈夫だったのに、もう無理になっている。教科数がもっと少なければ楽だったのに…と思うけれど、これも今さら。4種類っていうのは準備がとても大変だ。

始まったばかり。これから長丁場だから頑張るけれど、今日だけはちょっと愚痴らせてね。
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2009年03月29日

時間割が決まるまで

来年度の時間割が決まったが、私の出した希望と大幅に異なり、出講しないと申告した日に授業が入ってしまった。しかも、その経過も、とってもひどいもので、こういう状態に陥っている人は毎年、聞いてはいるものの、私は一番ヒドイのではないかなあ…という状態なのだ。というわけで、そのことを書こうと思う。

時間割編成初日の朝、電話があったが、私は不在だったので出なかった。帰宅してみたところ留守番電話にメッセージが3件入っていて、それを聞いた私は驚いたのだ。というのは、こういう感じだったから。

1件目「時間割の件で、至急、電話をください」

2件目「時間割の件なのですが、水曜日に入りそうです。至急、連絡ください」

3件目「時間割の件ですが、水曜日の1235に入りました。よろしくお願いします」

私は水曜日は出講しないと言ってある。なのに、突然、この電話。出講希望調査表には、こういうときに連絡がつかないといけないから、携帯電話の番号も書いてあるというのに、そっちにはかけて来ない。それにしても、最終的に「決まったのでよろしくお願いします」って言われたって、待ってくれって感じで。

3件目の電話がかかってから30分ほどして私が慌てて電話をかけ、水曜日は用事があるので無理だと伝えたが、もう決まってしまったからとの一点張り。あまり強く出すぎて印象悪くするのも怖いので、じわじわと丁寧な物腰で粘った。「ダメなものはダメなんですよ」とか「なんのために希望とってるんですか。水曜日はダメって書いてあるじゃないですか」って言いたいけれど、そうも言えず、最終的にはせめて3までにしてくれるようにという、私としては最大限の歩みよりを見せた。そうしたら、「それはちょっと難しいと思うんですよ。まあ、5をなんとか4にできるように頑張ってみますけどね」とのこと。私も甘いもんで、そう言われると、そもそもその日に勝手に入れといてなんだっていう気持ちはどこかに行ってしまい、「はい、すみませんがお願いします」なんて言ってしまった。

そして30分ほどしてから電話があり、なんとか5が4になったとのことだった。その場は「ありがとうございます」なんて言って引いた私なのだけれど、水曜日は夫の出張先に行くことにしている日で、後から調べたら4が終わってから出かけたのでは到着が5時になってしまう。もともと朝から出かける予定でいたのに、これはあり得ない。そんなわけで、翌日、自ら時間割編成会議に乗り込んだ。そして組まれた時間割をじろじろと穴の開くほど凝視し、あれこれシミュレーションし、なんとか3で終わるように変えてもらってきた。これだって予定とは大幅に違ってしまうので腹立たしいことではあるのだけれど、5だったものが3になったということで、もういいやという気持ちだった。

と、一応は落ち着いたのだけれど、どうも私が勝手に変えて…みたいな風向きなのはどうなのよと思う。そもそも、向こうが曜日の変更の了承を取らないことがいけないわけで、そのための電話をかけても出なかったじゃないかと言われれば、携帯電話にかけてこないそっちが悪いと言えるはずだ。でも、でもねー、そんなこと言えないのが雇われている者の辛さだなあ。「どうもお騒がせしちゃって、お手数かけてすみませんでした」なんて頭下げて来ちゃったけれど、本当に口先だけの言葉で、職場において私の発する言葉の真の重みを測る典型的な一言になったと思う。
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2009年03月20日

謝恩会(夫の勤務先の)

先日、夫が教えている大学の謝恩会があった。1年次の語学を担当したというだけの付き合いだったのだが、有難いことにお招きいただいたのだ。

夫が担当していたクラスの中には、私の教え子がいる。高2〜3年の時に受け持ったクラスにいて、個人的に課題を与えて勉強していた生徒だ。確かにそういう方面に進みたいと言っていた学問分野ではあるものの、よりによって夫が教えるクラスにいるなんて…と、驚いたのだった。

一人で知らない土地に行って学ぶことになったので、ちゃんと続くかなあと心配していたのだけれど、無事に卒業。そして、学んだ専門を生かして就職も決まっている。夫は、その子から大きな大きな花束をもらってきた。

私もとても嬉しい。嬉しくて仕方がない。ちゃんと初志貫徹して、一般的には難しい分野で社会に貢献していく。私が教えていた頃の、ふわふわして迷いだらけの子が、そこまでになったんだなあ。私にできたことも、夫にできたことも極めてわずかなことで、本人が努力で勝ち取ったものであるのに、それでも感謝の意を示してくれる。夫が送ってくれたその子の写メールは満面の輝く笑みだった。茶髪にしたりピアスをしたりと校則違反ばかりで外面を飾り立てていた子が、本当に豊かなきらきらした笑顔をしていて、いかに努力して自分を磨いてきたかがよくわかる。心からおめでとうを言いたい。
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2009年03月11日

江原啓之スピリチュアタイム

江原啓之さんのスピリチュアルタイム公演に行って来た。関東では3年ぶりの上演になるとのことで、なかなか取りにくいチケットだったようだが、なんとか取れたのだ。料金は7500円で、これを高いと取るかどうかは個人差があるけれど、私は十分に納得のできる値段だった。
今回のは「―オリジナル・ヴァージョン―〜人生の喜怒哀楽」という公演で、2部構成。前半は、「喜怒哀楽」の「喜」と「怒」についての江原さんのトークで、後半になると公開カウンセリングと「哀」「楽」についてのトーク、最後は江原さんの歌で締めるというものだった。入口で全員に公開カウンセリング用の用紙が配られ、カウンセリングをする抽選対象に入りたい人はそれに記入して回収箱に入れておくことになっている。公開カウンセリングの時には、皆の記入した用紙が詰まったバッグに江原さんが手を突っ込み、ランダムに選ぶ。このカウンセリングは名前を出されてもOKなことが前提で、抽選に当たった人はその場で立ち上がり、内容によっては壇上に呼ばれて公開カウンセリングを受ける。
江原さんはギリシア神話の神様のような服装で現れ、椅子に座っていろいろ話をしてくれる。テレビの「オーラの泉」で話していることをもっとまとめてくれたようなものだが、これは著作を読めばもっと理解が深まるのだろうなあと思った。公開カウンセリングでは、2000名のうち5人(だったと思う)が選ばれた。ここで江原さんの話した内容は「オーラの泉」と同じようなことだけれど、ごく普通にオーラの色とか、横にいる守護霊さんのことを言う。生で見たのは初めてなので、どういう気を出すのかなあという興味があった。普通とは異なる息遣いで息を吐くようにして見ているようだった。
あまり詳しくは書けないけれど、選ばれるべき人が選ばれているのがよくわかった。そしてその人は江原さんと話していることで、絶望の底から救い上げられていることがよくわかり、会場全体が拍手の渦で包まれた。すごい人だなあ…と、本当に思った。私は残念ながらカウンセリング当たらなかったけれど、私の書いたことは逼迫していることではないし、著作を見ればわかることなので、当たらなくてよかった。
そんな感じで3時間。帰っている途中、ちょっと不思議なことがあった。と言いつつ、細かくは書かないけれどごめんなさい。駅まで歩く私の頭の中で、江原さんの声がしたのだ。それはもしかしたら全員に向けて江原さんが送った言葉なのかもしれず、何人かが受け取ったのかもしれない。でも、とにかくまた行こうと思っている。
江原さんはとても大きく暖かく相手を受け止める人だった。「気」の強さはびんびん伝わってくる。私は2階席だったのだけれど最前列なので、ある意味、目立つ場所にいたから余計に感じたのかもしれない。とにかく有意義な時間だった。
こういう世界を頭から否定する人達に反駁するつもりは全くないし、感じる人だけ感じればいいのだと思っている。ただ、わかる人には本当によくわかるということなのだ。江原さんの語ることは、私にとっては全てが裏付けのようなものになり、いろいろな意味で深い言葉だった。
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